JIMOTY NEWS 石碑
最終更新日2003.12.27
2.銅座の跡
銅が重要な輸出品であった江戸時代、明和3年(1766)に銅集めの役所として設立された。銅座は国内産銅の精錬・売買を独占し、諸国の銅山で産出した銅は、問屋の手を通じ、この銅座が買いあげた。この銅は銅吹屋仲間の手により精錬されそのあと海路にて長崎へ回送された。銅座が大坂に設けられたのは航送の便が良いほかに、大坂には泉屋(住友)などの有力、優秀な銅吹屋があり、南蛮吹きといわれる優れた銅精錬法を伝えていたからだといわれる。輸出銅は全てが大坂で精錬されたという。正徳2年(1712)に銅吹屋仲間が結成されたが、その時は17軒であった。中でも泉屋(住友)は別子などに銅山をもち銅吹屋仲間の代表格であった。現在中央区島之内に住友鋼吹所の跡が残っている。また銅の密売を防ぐため古銅類買上げの精細な規定がつくられ、銅器の破片に至るまで銅座が管理した。
 江戸時代、オランダ商館長一行が江戸へ行くとき銅座に宿泊、住友鋼吹所を訪ねるのが例となっていた。なお建碑のある愛珠幼稚園は、明治13年開園(1880)、現園舎は明治34年竣工のものである。

(中ノ島史跡マップ参考)
1.のだばし址
(大阪市都島区)
片町二丁目、京阪電鉄「京橋」駅下車 高架下を西へ約100mの所に建っている。この付近には寝屋川に平行して鯰(なまず)川が流れていた。それに架けられていた橋がこの「のだばし」である。京街道にあたることから重要視され江戸時代には、これより下流にあった備前島橋と、大坂城の北の玄関口にある京街道の起点でもあった京橋とともに公儀橋に指定されていた。この場所は、川の合流点付近にあり流れが複雑で少しの洪水で落橋したと云う。橋は鯰川が埋め立てられる昭和初期まであった
(区HPより)

2003/12撮影
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